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~「人間」を考察するということ~ 

「何か」を伝えたい―…そう思い
頭の中の無意識を書き出してみた結果
自分でも頭がぐんにゃりしてくるようなよく分からない文章が生まれた
けどここまで書いて消すのももったいないし
とりあえず続きからの中に放りこんでおくかな
最近、不定期に訪れる、しかし、いつもとはまた少し違うモヤモヤが頭の中を回っております
でも、結局考えるのはいつもと同じ
答えの出ない、結論も出せない「人間」に対する考察
それを考えることに果たして意味はあるのか?
…これもまた、答えは出ない

「人間」のことを考察すること、それは誰でもできること、しかし、誰でもはやらないこと
それは大事なことだ、ぜひ考えるべきだ…そう言う人もいるだろうし、自分からは考えなくても、
他者のそうした考えを目にして、そうだね、と肯定する人もいるだろう
多分、後者のような人はそれなりにいるのではないだろうか…まぁ、多くはないだろうが
それなのに、何故それを自分から積極的に考えようという者は少ないのか
それは、必要なことだと捉え、自ら積極的に考察をし、考えを深めていく人もいるだろう
それは、無意味なことだと捉え、それについて考えること自体が理解できない、という人もいるだろう
それは、必要だとは思うけど、考えても答えは出ないし、考えるだけ無駄だ、という人もいるだろう
結局、人それぞれによって、「人間の考察」の意味も価値も違う
結局、その人の捉え方次第だと言えるだろう
…まぁ、その人次第、というのは実際は全ての事柄に言えてしまうだろう
だから、答えは出ないし、結論も出ない
或いはそれが結論とも言えるのだろうか

私は自分から進んで考えなくても、思考に余裕があれば…
他に考えることがなければ勝手にそのことばかりを考えてしまうタイプだ
意味、価値の有無に関わらず、ただ、思考の空白を無意識が埋めるために行われる、脳の作業の一つ
そんな、明確な意志のない考察に意味はないと捉える?
まぁ、それも、人次第…だが、確実に、意味があると答える者は少数だろう

で、あれば
私はやはり大多数の者から見て、「異端」であり、「誤り」であるのだろう

なんでそうなるのか?
それが「人間」だから、というのが私の一つの「人間の考察」

「人間の価値観」なんてものはあくまで人間が作り出したもの、極めて不完全で「絶対」など有り得るわけがない
この世界は人間が作ったわけじゃない、なのになんで人間はこの世界のことを、確信を持って語れる?
人間は、この世界に、「人間の世界」というフィルターを被せて世界を見ている
何故なら、人間はこの世界のことを理解することができないから
だから、勝手に自分達の価値観に置き換えて世界を見ている
石を「石」と呼ぶのも、1+1は2になるというのも、「~は常識だ」といった考え方も
全て人間が作った、世界に対する解釈
一体何の話をしているのか?
「人間」は基本的に「多数決」で「正しさ」を決める存在だということ
つまり、先ほど言った私が「異端」、「誤り」であることの裏付け
もし、仮に私の考えが「世界から見て」正しかったとしよう
それでも多くの人間が「それはおかしい」といえば、「人間にとっては」誤りである、ということになる
その逆も然り
それ故に、これなら絶対大丈夫と、多くの人から認められ、つまり人間にとって「絶対」のものでも、
検討もつかない事象により結果が変化することもある
それはつまり、「人間にとって」正しい、と認識されていたことでも、「世界にとって」は不完全だった、ということ
そしてそれら「理解不能なイレギュラーな事態」も、「奇跡」或いは「災厄」、もしくは「神」によるものと
解釈する者もいるだろう
そうして理解できないものは理解できないものとして答えを確定してしまい、独自の解釈を作ってしまう

ふぅ…広げた風呂敷を畳みきれなくなってきたな…
まぁ、つまりは、いくら考えの正しさを主張したところで、それに同調する者がいなければ、
それは「正しい」ものにはならない
これもまた、逆も然り…多くの者にから同意を得られれば、それは「正しさ」になる
もし、仮に時間を経てそれに反する意見が多くなり、「誤り」だと認識されるようになっても
その事象が、その時点においては「正しい」ということには変わりない
ありきたりというか、いい例というか…戦争とかそうじゃない?
昔日本じゃ戦って死ぬことが「正しい」ことで、今ではそれが「誤り」と言われてるわけだしさ?

正しい、誤り、それだけに限らず、価値の有無、意味の有無だってそう
周囲の人の意見や時代によって、それらも変化する
ならば、それらの有無をここで結論づけること、それ自体が「無意味」であると私は捉える
だから、答えは出ない、結論は出ない、が「結論」になってしまう
そして、現時点での「人間の常識」がどういうものか鑑みた時、「私の考え」は「誤り」であるだろう、と言える

…んあー…なんとか締めようとしたが、ちっともまとまってないし、極めて謎な文章だな…
こんなんだから「考えを理解できない」と言われるのだろうねぇ
まぁ、自分でも分からない考えを人に分からせるなんて、土台無理な話ではあるか…

とあるお方のブログにて
日々綴られる「人間の考察」(と私が解釈しているだけではあるが)を見て、その考えを受けて
考え方に相違はあれど、私やその人が行っている「人間の考察」
それについて、「何か」を、多くの人に伝えたいなと思い書き始めた結果
その「何か」もはっきりせず、盛大に大風呂敷だけ広げて、全力で不時着した感じになりましたねぇ
私らしいといえば私らしい、か…
ただ、これを見て…「何か」を感じてもらって、「何か」を考えるきっかけになって
それが、貴方にとって、価値のあるものとなれば…幸い、と、言ったところ、かな?
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