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「感じる」ということ 

一度は引っ込めたモヤモヤが
一気に膨れ上がったので
今日も今日とて思いのままに
無意識の従うままに文章を書き連ねることで
発散しようと思います

私は「感じる」能力が、人と比べて著しく低い、と、思われる
以前私は、自身のこれのことを、こう説明したことがある

人間の体には熱いものを熱いと、冷たいものを冷たいと、刺激が加われば痛いと、感じる神経がある
心にも同様に、悲しいことを悲しいと、楽しいことを楽しいと感じる「神経」があると仮定する
私が、他の人間が感じることができるような感情を、感じることができないのは、
その「心の神経」と呼べるものが、一部欠損してしまっているからなのだろう、と

例えば人間は一般的に「死」に対しては強く拒絶を示すだろう
それが近しい存在のものであればなおさらであり…やはり、家族などが死ねば、
それが例え、殺されたとか、急な病気だとか、そういうものでなかったとしてもやはり辛く、痛く、悲しく思うのだろう
だが…私はそれを至極淡白に捉えている節がある
だからこそ自身の死に関してもそこまで抵抗もなく考えることも出来るのだろうし、それに対する拒絶も感じないのだろう
それに…以前にも書いたことがあるが、私には母がいない
記憶にすら残っていないような幼い頃に他界している
しかし…記憶がないとは言え、それについてもあまりに何の感慨も浮かんでこない
およそ一年ほど前に、母方の祖父の葬儀にも参列した
私にはそうした経験が少なく、まともに記憶がある範囲では、確か初めて参加する葬儀だったと思う
しかし…おそらく全く涙を流していなかったのは私だけだっただろう
別段、嫌いだったというわけでもない
小さい頃はよく遊びに行っていたし、いつもニコニコしながら相手してくれる優しいお爺ちゃんだった
だというのに私は、その遺体を見ても、みんなが泣く姿を見ても、何の感慨も浮かばなかった
あまつさえ、私も死ねば…こうしてみんな泣くのだろうか…などと下らないことを考えている始末だった
「死別」というのは、悲しいことだ
例えそれが誰しも必ずいつかは訪れるものであったとしても
そして、今、目の前に祖父の遺体がある
みんな悲しみ、泣いている
だからこれはとても悲しいことなのだ
そう理屈として認識させることでしか、その「死」を解釈することができなかった

先日から、こうしたことをいつも以上によく考えるようになった
自分のこうした「欠損」についてを
理由の一つとしては…まぁ、話だけ聞けば至極滑稽なものではあるが
現実ではそんな経験はないのは当然として、夢の中で、初めて人を殺した
それも銃などである意味「間接的に」ではなく、やや大きめのナイフのような刃を手にして、人の体を貫いた
状況を見れば、先程も言ったように至極滑稽なものだった
所詮夢の中、どこか物語めいた非現実的な状況で…
まぁ、普通は変な夢見たなぁと笑って片付けるようなレベルのものなんだろうが…
起きてからというもの、しばらく変にそのことばかりを考えていた
夢の中だったとは言え、非現実的な状況だったとは言え
私はその相手を貫くことに何の感慨も躊躇いも覚えず、刺し貫いた時でさえ、何かを感じることはなかった
そして…どこか、実際にそういうことになったとしても、多分私はそうなんだろうな、と考えている私もいた

…そんなことを先日書こうとして、一度はやっぱいいか、と引っ込めたのだが
それを裏付ける、とまではいかないが…
私の心が欠損している、ということにより確証を得られるような事態が起きてしまい、
モヤモヤに引っ込みがつかなくなってしまった

具体的なことを書く事は避けるが
知り合いからショッキングな話を聞いた
本当に洒落にならないレベルの話だった
だが…またも私は、それを理屈として自分に刷り込むことでしか、感情を抱くことができなかった
話を聞いて、疑ったわけでもない、嘘だと思ったわけでもない、有り得ないと思ったわけでもない
現実としてそれが起こった、と判断してもなお、何も感じていない私がいた
そんな自分を本当に嫌だ、と…忌々しいと思う自分がいるだけでもまだ、完全に欠損してしまっているわけではないのだろう
だが…だからこそやはり、また私は自身を中途半端な存在だと、痛感してしまう
いや、何をやっても、考えても、結局はそこに行き着いてしまうのだろう
どっちつかず、矛盾ばかり
痛みを感じることが出来ないくせに、痛みを知ろうとする思考は持ってる
いや…そうだな、いつものことだ、こう言い出してはいくらでも出てきてしまう、か…

感じることができない、だからこそ、それを代替し得る完全な理屈を求める
だが、それは人間の概念では表現し得ないもの
だから私は一生かけても答えがでない、終わりを迎えることのない壊れた思考を回し続ける
きっとそれは死ぬまで終わらない
死の先なんて、生きてるうちには知りえないことだが
少なくとも、それが私にとって唯一無二の「可能性」
いや…それも所詮理屈による解釈、か…
私は他の人が持ち合わせている「心の神経」の一部が欠損している代わりに
「自身の死を肯定的に感じる神経」を持ち合わせていただけなのかもしれないな
いや、それも違う…私は生きたかった、幸せに
ただ自身にそれを手にするだけの能力がなかった
それに対する反発、ただその程度のものなのだろう
ようは、ただの駄々っ子だ
あぁ、実に小さいな…だが、所詮こんなものなのだろう…

っと…どうしてもこの手のことを考えているとワンセットでこっちも付いてきてしまうな…
ここいらで切っとくとしようか…
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